北海道機販のルーツ

北海道機販は、1950年創立の「松立株式会社(以下:松立)」と1951年創立の「北立産業株式会社(以下:北立産業)」という2社にそのルーツがある。この両社が1987年に合併してできた会社が「北海日立電線機販株式会社」で、現在は社名変更により「北海道機販株式会社」となっている。
代表取締役の中鉢誠一は「北立産業」出身、常務取締役の伊藤光一は「松立」出身で、現在、創立の会社から残っているのは両名だけとなっている。


北海道機販株式会社 代表取締役 中鉢誠一

北海道機販株式会社 常務取締役 伊藤光一

両社が創立された1950年代初頭は、戦後日本の高度成長期の始まりにあたり、北海道開発庁が設置され、各地方に北海道開発局の開発建設部を設置、陸上自衛隊北部方面隊の創設など多くの関係省庁施設が建設された。

当時は高度成長に伴い、北海道産の“石炭”需要が沸騰した時代で、その炭鉱が北海道各所にあったため、そこで働く人たちが多く北海道に入植。また、太平洋戦争終戦により満州や樺太などから多くの方が引き揚げ、その受入先として北海道が注目されたことで一気に人口が増えた時代であった。住宅や各種施設が次々建設され、そこに電線を供給していく形で両社は発展していく。

北海道の発展と共に事業飛躍

松立、北立産業は、共に1950年代に当時の日立電線株式会社(現:株式会社PROTERIAL)の特約店になっている。
1972年に札幌冬季オリンピックが開催されると、北海道の経済が活性化。青函トンネルや地下鉄等のインフラが整備され、それにより製品特需が生まれ、事業と取り扱い製品の幅がどんどん広くなっていく。

1961年に建設が始まった青函トンネル

冬季オリンピックが終わると、今度はスキー場に海外の観光客が訪れるようになり、観光業が発展。スキー場には“ゴンドラ”や“リフト”が設置され、ホテルも建設されるなどリゾート化が進み、それに伴って受変電設備や発電機の需要が増え、物を売るだけではなく、工事関連の仕事も次々に生まれた。

1960~70年代には製紙業も盛んになり、大手製紙メーカーの工場が道内各所に進出。製紙工場の電力ケーブルなどの需要が高まり販路が拡がっていった。

北海道の生活インフラを整備し、街づくりを支えた歴史

1960年代になると、松立において公共工事事業がスタート。最初に担ったのは北海道の「水」資源だ。

当時は、各地方自治体において豊富な地下水源に恵まれていたこともあり、公衆衛生面や消防水利の確保等による水道整備はこれからという時代で、新たな取り組みとして浄水場の建設や取水施設向けの電気、計装工事を市場とし、工事人材の育成もメーカー様協力のもとで始まった。

治水用の多目的ダム建設も次々と計画されている時代で、設計会社様からダム提体内漏水観測排水設備(水漏れを観測するシステム)の相談をいただき、メーカー様と一緒に試行錯誤を繰り返しながら、ダム維持・管理のための観測システムを独自に作り上げた。

今現在も、北海道機販では北海道内の多くのダムの”排水設備”を維持管理・更新し続けており、北海道の水の安心と安全の一端を支えている。

北海道機販がその“しくみ”を作り上げた「ダム漏水観測排水設備」

また、“ロードヒーティング”もメーカー様と共に北海道機販が道内各地に拡販してきたものだ。

北海道の冬の道路は雪と氷で敷き詰められる。そこで、路面の凍結を防ぐため、道路の中に電熱線を敷設し、路面の温度を上げて雪氷を融かす。
スタッドレスタイヤの普及と共に、坂道などの危険箇所に安全対策としてロードヒーティングが敷設された。後に駐車場などの除雪対策としても普及している。

北海道機販では、ロードヒーティング設備の販売だけでなく、敷設工事も当初から行っている。
札幌駅前や札幌市街中心部をはじめ、道内各地に数多くの施工実績がある。近年ではロードヒーティング材料から撤退していくメーカーもある中で、札幌市民はもとより、増加している観光客の利便性と足下を支えている。

札幌市民と観光客の安全を支えている「ロードヒーティング」設備

「当時は競合メーカーも多く、拡販も大変苦労しました。当社では、お客様とメーカー様と共に、必要最低限プラスアルファで提案し実績を積み重ねてきました」と当時を振り返りながら中鉢は語る。
これは、メーカー様とお客様を繋ぎ、お客様のニーズを深く知る北海道機販ならではの強みだ。

北海道機販の使命は「お客様の役に立ち、北海道を支える」こと

製品の変わり目では、度々お客様に“困りごと”が発生する。

例えば、光ケーブルを使用した伝送機器が世代交代を迎える際は、伝送機器の規格に合わせて光ケーブルの張り替えも必要になる。そこに、何とか既存の光ケーブルを利用することでコストダウンが出来ないか?といった“ニーズ”が生まれる。

他社では「製品的に無理」だとか「不安があるからできない」と断られてしまうケースも多いが、北海道機販では「とにかくやらせてください」とお客様にお願いする。お客様から頼まれたら、まずはやれる方法を考えるのだ。
この時は、既存の仕組みを見直し、信号を変換する機器に置き換えることで既存の光ケーブルを使う仕組みを提案、採用された。

「そこが他社と当社の違いだと思います。北海道機販の“行動指針”は「お客様第一!」が最初にあり、一番大切なのです」と中鉢は胸を張る。

北海道機販の行動指針

「断ろうと思えば断れる。でも、お客様のために「何とかしたい」という思いはずっと会社の“理念”として受け継がれています。お客様からの困り事に「できない」と言いたくありません。できないと言った瞬間に終わってしまうので、まずは考えさせてくださいと。その上でやれる方法を提案するのが付加価値だと思います」と伊藤も中鉢に同意する。

ケーブルの規格が違うものを繋ぐのであれば、普通なら「できません」と断れば済む話だが、これができるとお客様は余計なお金を使わなくて済む。新しいものを入れるということは古いものを捨てることでもあり、そうした“困りごと”も当然出てくる。

「その困りごとがありがたいのです。困っていると聞くと、矢も楯もたまらなくなり、何とかしたいと思います。お客様の役に立ちたい、それがひいては北海道のためになると思うと、やりがいしかありませんよね」と笑顔で語る伊藤。

北海道機販は「お客様の役に立ち、北海道を支える」ことを使命として挑戦し続けてきたのだ。

地下鉄関連工事まで担当する北海道機販

お客様からの要望ではじめた工事の中には、地下鉄関連の工事もある。札幌市営地下鉄の可動式ホーム柵設置工事(電気工事)がそれだ。

この工事の元請会社から、”ホーム柵“の設置工事に関する相談を持ちかけられたことで「お客様の役に立ち、北海道を支える」ことが使命と考える北海機販の本領が遺憾なく発揮された。

当然、最初はノウハウなどなく、協力会社様と二人三脚で、大変な苦労の末1年以上かけ工事を遂行。
特に地下鉄の場合は深夜0時の終電以降、電車の運行が止まってからでないと工事ができない。そして翌朝4時頃までに作業を終わらせる必要があるため、作業時間は実質4時間程度しかないのだ。
北海道機販の勤務時間は9:00~17:30。通常、夜間シフトはないが、この時は特別にプロジェクト体制を組んで対応。

「お客様の現場に合わせて昼夜逆転するので、生活が大変になる訳ですよね。しかも、1年以上の期間です。あのときは「凄いな!うちの社員って本当に凄いな!!」と感動しましたし、社員を誇りに思いました」と目を細めながら伊藤は語る。

地下鉄の“ホーム柵”の電気工事関係を北海道機販が施工

北海道機販は「お客様第一!」の精神で、たくさんのお客様と取引を重ねてきた実績があり、多種多様な工事業者様とのお付き合いがある。その中には地下鉄関係の工事を得意としている工事業者様もおり、プロジェクトに協力して頂けるようにお願いして施工体制が決まった。
工事が進むにつれて発生する様々な問題や課題に対し、都度体当たりで挑み、協力会社様のノウハウやアドバイスで数々の難所を乗り越えることができた。

普段、地下鉄関連工事の経験がない北海道機販の社員が先頭に立ち、ホーム柵の製造工場や元請会社様、関連工事を含めた複数の協力会社様の間で指揮をとり、工事を遂行していく。
そうして無事完成を迎えると、お互いに信頼関係が生まれ、それが次の仕事にもつながっていくのだ。

「滅多にない大きな事業も、長いお付き合いの中で担当させていただきました。そこに関われるというのが本当に嬉しいですし、凄いと思います。本来、30人規模の会社でやれることではないため、それもお客様との信頼関係があってこそ。そこが弊社の強みだと思います」
営業の第一線に立ち続けた中鉢が、人と人の“思い”が生み出す力を熱く語る。

北海道の通信インフラも整備

北海道機販では1990年代、携帯電話登場直後の “1G”の時代から基地局の設置工事も行っている。
これもメーカー様からの要望でスタートした事案だ。

図面を描き、土地の申請も行う。“販社”の北海道機販が、である。
さらに、用地の借用交渉までも担当し、農家の土地など様々な場所に鉄塔を立て、携帯電話黎明期から北海道の通信インフラを支え続けたのだ。
この工事も、先述の地下鉄可動式ホーム柵のような特別プロジェクト対応で行った。

「そういった工事実績がない会社なのに、やって欲しいと言われると…うちはやっちゃうんです。今までの実績から「北海道機販に頼めば何とかしてくれる」と言っていただけるので、それが嬉しくて仕方ないですし、その信頼に応えるため、社員が一丸となって知恵を出し合い何とかする、そういう文化を持った会社なのです」と北海道機販の“生き証人”である伊藤は言う。

あらゆる場所に基地局を建て通信インフラを整備

基地局は、電波を測定して感度の良いポイントを探し出し、市街地などではビルの屋上にも設置するため、ビルのオーナー様との交渉も行う。
当然、交渉は難航することもあるが、大変な思いをしながらも道民の生活を支えることが使命と考え、北海道の通信インフラの一端を整備してきたのだ。

「北海道機販に頼めば何とかしてくれる」と相談してもらえるのが何より嬉しい

「北海道機販に頼めば何とかしてくれる」北海道機販の全社員が好きな言葉だ。

創業当時からお客様の役に立ち続け、道民の生活を支え続けた実績により、“北海道機販に頼めば何とかしてくれる”という風土が生まれた。次々に仕事の規模も大きくなり、益々その評価が高まっていく。

「実際にそう言われたら「できません」とは言えませんし、言いたくないです。それができるのも、やり切った後の達成感を知っているからでしょうね。「何とかやれたね」という達成感と、それが北海道を支えているということがモチベーションの源です。お客様の役に立ち、道民の役に立つ、そして、また別の形でお役に立ちたいと思う。この繰り返しです」北海道機販を代表する中鉢の信念は、会社の信念でもある。

「お客様の役に立ち、道民の役に立つ」それが使命だと語る中鉢

お客様のために「正道」を歩み続ける

北海道機販の仕事の基本となるのは「誠心誠意」だ。嘘偽りなく、一生懸命働くことで認めてもらう、「正道を歩む」ことが根源にある。

東京などの大都市部では、黙っていても仕事には困らないかもしれない。
しかし、我々はお客様のことを第一に考え、「こういうのどうですか?」とお客様のニーズに合った提案をしながら仕事に繋げていく。大きな案件になれば複数社との競合になり、勝ち負けも発生する。
そんなときも、北海道機販では“勇往邁進”の精神で、恐れることなく、目標に向かってひたすら前に突き進む。

「今までの先輩たちも、大きな仕事、本来であれば当社の規模ではやれないようなことをやってきています。とにかく諦めず、「お客様の困りごとを何とかする」というポリシーをずっと続けて欲しいですし、それを代々伝え続けて欲しいですね」と将来を担う次世代へ期待を込める中鉢。

若き日の中鉢と伊藤。二人の思いは次世代へと受け継がれていく

その言葉を受け伊藤も「まだそういう経験をしてない若い社員もいるので、早くそういう経験をしてもらいながら引き継ぎたいと思います。今までの現場や公共工事の仕事などの繋がりも含め、やはり最後は“北海道のために”頑張って欲しいですね。」とエールを送る。

お客様と共に、北海道を支えるために働く、“北海道愛!”に溢れた北海道機販の活躍は今後も続いていく。

北海道機販を知り尽くした中鉢社長と伊藤常務に
「今まで」と「これから」を語ってもらいました

伊藤:僕が今までで一番嬉しかったのは“北海道機販※”になったときです。
※2017年1月に株式会社山一ハガネのグループ企業となり、北海日立電線機販株式会社から現在の北海道機販株式会社へと社名変更。

まず不安があったのは、仕入れ先もそうだし、お客様も従来通りお取引していただけるだろうかと。
中鉢さんと二人で「どうしよう、どうしよう」となった中で、一軒一軒お客様に説明して回った際、皆さん一様に変わらぬお付き合いをしてくださいました。

それプラス中鉢体制になり、初めてプロパー社長が生まれたときに、お客様がすごく喜んでくれたんです。
もちろん中鉢社長の人柄もあるのですが、やはり苦楽を共にしてきた方が社長になったのを、皆さん本当に喜んでくださって。
いっぱい花が送られてきたり、祝電が送られてきたり、メーカー様も本当に良かったって言ってくださいました。その時に「あぁ、この会社の社員で本当に良かった」と思いましたね。

社長となった中鉢へ思いを語る伊藤

中鉢:そう言っていただけると少し照れますが、本当にありがたかったですし、私も嬉しかったです。
我々は信頼が第一で、仕入れ先から物が仕入れられなくなったら終わりなのですが、お客様が変わらぬ関係でいてくださり、本当にありがたかった。
今までずっとやってこれたのも、お客様と伊藤さんをはじめとする社員の皆さんのお力添えがあってこそです。本当に感謝しかありません。

伊藤:今は少しずつ新しいことを初めていて、東京にオフィスを出したり、営業第3部ができたりで、北海道外からもお仕事をいただけるようになってきました。
工事関係も従来は情報系や計装関係だったものが、電気工事関連のご相談もいただけるようになり、また工事の幅が広がっています。
北海道機販はまだまだ伸びしろがある会社だと思っています。

中鉢:当社と仕事がしたいと、道外からも仕事がいただけるのは本当に幸せなことです。
これも“お客様第一!”で頑張ってくれている社員の皆さんのおかげで、やはり人と人の関係性、“思い”が大切です。
社員の頑張りを見ていると、僕もまだまだ現場で頑張らなきゃって気合が入ります。

伊藤:中鉢さんは僕以上に現場好きですから。常にどこかしら自ら営業していっちゃう。

中鉢:昔からその役職ごとにできる営業があると言われてきたので、私にできない所は伊藤さんに手伝ってもらいながら、逆に伊藤さんができない所は私が協力させてもらいながら何とかやってこれました。
もちろん、仕入れ先であるメーカー様にもたくさん協力していただきました。

伊藤:うんうん、僕らは現場主義だから、お客様の声を聞いて、お客様が本当に求めてるものをメーカー様に伝えて。
メーカー様も、我々と一緒になって現場で汗をかいてくれるからこそやっていける。
社内もそうです。今は若い社員が、中鉢社長に直接物が言える。つねに本音が言えるような関係作りを大事にしています。
本社は全部署がワンフロアにあるから、風通しはとても良いのではないかと思います。

風通しの良い北海道機販の社内

中鉢:ワンフロアだから、みんなで言ってること聞こえちゃうもんね。聞き耳立てるんじゃないかって(笑)。

伊藤:揉めてる社員がいるなと思ったら実は中鉢社長だったということも(笑)。
以前は社長室もありましたが、中鉢社長になってから一緒のフロアになりましたよね。

中鉢:北海道機販になってからですね。社長室に一人で籠っていたら息が詰まりますもん。
社員のそばに居たいし、人と喋りたくなっちゃうんだよね。伊藤さんもそうだと思うけれど。

伊藤:僕なんかもっと酷いですよ、徘徊して歩いちゃうから。
社員の後に行って、「何か困り事ない?」とか「報告していない事ない?」とかって言って歩くの。僕、寂しがり屋だから。今日1日、君と話してないな、話しようよ!みたいな感じでね。

中鉢:うちの会社、誰に対しても遠慮なく話せるよね。何徘徊してるんですか?って僕も良く言われちゃいますもん。

伊藤:そうやって風通しが良い中で、次の世代が伸び伸びと育ってくれていることを嬉しく思います。

中鉢:僕と伊藤さんはもう歳なので、次の世代にちゃんとバトンタッチしていかなきゃいけない。それを僕が中継ぎできれば良いなと思っています。
社長をやらせて貰って今年で3年目ですが、もう少しで65歳になるので、ちゃんと次の世代に引き継いでいければ良いなと思っています。

営業第2部部長の鈴木(左)達後輩社員へ中鉢と伊藤の思いは受け継がれていく

伊藤:北海道機販は、1948年の松本電業札幌出張所設立の頃から「お客様の役に立つことが使命」という思いで今日まで約75年間やってこれました。
社員の皆さんを見ると、その思いはしっかり引き継いでくれているので、この先100年、200年とずっとその思いを受け継ぎながら、これからも北海道のために活躍し続けて欲しいですね。